マグロを買う
1日目に記したように(【小さな秘境の島、『カミギン(Camiguin)』へ! 1日目】参照)カミギンはマグロが有名らしい。滞在期間に何度か立ち寄った市場がある。日本の寿司屋が解体ショーと銘打って大きなマグロをさばいていくのをたまに見かけるが、カミギンの市場にもそれぐらいの大きさのマグロが横たわっていた。一度値段を聞いたら1キロ500ペソで、部位は関係ないらしい。つまり、大トロだろうが赤身だろうが値段は同じで早いものがち。市場のお兄さんが、「ベリー、ベリー」と大トロ部分を勧めてきたところから、フィリピン人にもトロが人気なのだろう。「日本で買うと高いよ」というのがお兄さんのセールストークだったが、確かにその通りだ。
という経緯で、ずっと頭の片隅で気になっていたマグロ。やっぱり買って帰ろう思い、空港へ向かう途中に市場に寄ることにした。ちなみに、こんなこともあろうかとクーラーボックスは持参している(笑)。


まだマグロがあるかどうか、期待半分不安半分だったが、昨日より小さくなったマグロが未だ横たわっていた。ベリーがほしいと言ったが、すでにお腹の部分はなくなっていた⋯。やはり、ほしいと思ったときに迷わず買うことが大切だ⋯。人生いつでも次があると思ってはいけない⋯。だが、せっかくの機会なので赤身を購入。帰宅後の楽しみが増えた。
帰路につく
マグロを手に入れ、空港に向けてバイクを走らせる。カミギンは観光地としては未開拓であるため、有名観光地で必ず見かける『I love 〇〇』と印字されたTシャツすら見かけない。名物のランソーネス(【小さな秘境の島、『カミギン(Camiguin)』へ! 2日目】参照)は時期がまだ早く、他に有名な食べ物を調べたがパンぐらいしか出てこない。パンは⋯ちょっといいや、と思い土産はあきらめて空港へ直行。バイクの返却は10秒ほどで終わり(笑)、空港へ。
余談ではあるが、空港の荷物チェックでいつも思い出すのがセブへ来て1年目の出来事。日本に一時帰国し、セブへ帰る途中マニラで国内線に乗り継ぎをしたときのことだ。当然荷物のチェックがあるため、ベルトコンベアーに荷物を下ろし、ボディチェックを通って荷物を待っていた。しかし、5分ほど待っても荷物が全然流れてこないのだ。カバンの中にそんなに怪しいものは潜ませてはいないが、何か問題があるのか?少々不安になり、画像を確認している係員を見てみた。⋯、寝てる!!?いやいやいや、空港のセキュリティーチェックの係員がまさか居眠りなどするはずがない。もう一度確認してみる。やっぱり寝てる⋯。近くにいた別の係員に「彼、寝てない?」と声をかけてみると、爆笑しながら起こしてくれた。その後は周りのみんなで大爆笑。いやはや、おおらかなり(笑)。でも、このおおらか(テキトウ)さがフィリピンでの生きやすさかもしれない。
カミギン旅行、幕を閉じる
帰宅後、マグロの唐揚げを作った。結果、めちゃくちゃおいしかった。その後私は、近所の市場や路上の魚売りでマグロを見かける度に買いあさるのであった。未だマグロブーム終わらず。

フィリピンは日本と比べると自然保護の意識がまだまだ低いと日々感じる。川にはプラスチックごみが散乱し、どこからともなく流れ出る汚水が川へと垂れ流されていく様子には胸を痛めることもしばしばである。しかし日本にもそんな時代があったことを知っている私は、一方的に彼らを責めることはできない。『発展途上』である彼らに、ゴミを捨てるな、自然を愛せと言っても、そんなことより自分たちの生活が最優先なのだろう。セブ市内でも、トタン屋根に薄っぺらいベニヤ板の壁、その壁に切り抜かれた空間には窓ガラスもはまっていない家がところ狭しと建ち並ぶ光景を目にする。洗濯機のある家は珍しく、川で洗濯をする光景を未だ目にするのだ。そんなフィリピン人の暮らしぶりを見ていると、『環境保護』は余裕のある暮らしの上に掲げられる理想であることを痛感する。
しかし、そんな中でも、カミギンには未だ美しい海があった。朽ち果てた教会がそれでも価値を見出されていた。そこにあるもので暮らし、あるもので楽しむ文化があった。ふと、携帯電話がなかったあの時代、不便だけどもその分言葉や約束にもっと重みがあったあの時代のことを思い出す。きっとフィリピンの暮らしはあの時代に似ているのだろうと思う。とりわけ、都会から離れ、離島を訪れるほどに、選択肢が限られ、情報も遠のき、不便で、だけどものどかな時間に癒やされるのだ。だから私はまた離島へ足を運ぶのだろう。
カミギンの旅、終わり

